藤澤和雄調教師(08年2月掲載)

 厩舎の新年会の席で、藤沢和雄はため息を二つ、ついた。
 「昨年はどの馬もびっしりと目一杯に仕上げるようなことはしなかった。壊さないように、という仕上げで競馬に走らせたケースが多かった。だから、何回も走れた馬がたくさんいたし、そういう馬たちがいずれ勝ち上がってくれた」
そうした積み重ねた勝ち鞍は48。開業以来20年で13回目のリーディングトップ。それでもため息が二つ。

 一つは塚田祥雄の話をした時。初夏の悪夢を思い起こすと、自信家の藤沢にしては珍しく目を泳がせ、ため息をついた。
 二つ目のため息。これは、毎年のことだった。

 「結果的に『どこかでミスジャッジをしてしまったのではないか?』と思わざるえないケースが多々あった」
 前年に聞いた時も、その前の年に聞いた時も、さらにそのまた前の年も、大同小異の言葉が返ってきた。
たとえばインフルエンザ騒動の時、と口を開く。
「フライングアップルは札幌記念に使うつもりでいた。でも、騒動で延期になったので、改めてセントライト記念から天皇賞を目指そうとした」
臨機応変の対処と思えたこの路線変更も、「むしろ逆」とかぶりを振った。
「押せ押せになって壊してしまった。対応のしかたが悪かった。慢心があったのかもしれない」
インフルエンザといういわばアクシデントにも、「それ(インフルエンザ)自体が悪いのではなく、どう対応するかの問題」ときっぱり言う。思いもしない色々な状況に対し、適切な対処をするのが調教師の役目ということか。
「その通り。『インフルエンザだから』とか『何がどうだから仕方ない』ではなく、勝てなかったり、壊してしまった以上、どこかでミスジャッジがあったんじゃないかと常に考えなくてはいけない」
何勝したとか、他の厩舎との比較で何位だったとか、その手の話に藤沢が満足しないのは百も承知。たとえ倍、勝ってリーディングを独走しても、この男が満足することはないだろう。
しかし、そんな藤沢の意がどうであれ、昨年も“最も多く勝った調教師”であったことは疑いようのない事実。今も多くの調教師が彼を目標に、「追いつき、追い越せ」と励む声をあげる。
「新しい若い調教師が増えている。彼等が一所懸命にやっているのに、私がトップだからといって昔と同じやり方をしていたら『藤沢はまだあんな古いやり方をしているのか?!』って言われちゃう。トップにいながらにしてモチベーションを保つのは大変だけど、若い調教師に『いつまでも目標にされるようでなくてはいけない』という気持ちが、私の原動力の一因であるのは間違いありません」
馬なり調教や集団調教。藤沢がやり出した頃は奇異なものでもみるような目でみられた調教も、今ではどこの厩舎でもやる当たり前の光景になっている。でもね、と藤沢は苦言を呈す。
「馬なり調教や午後運動の撤廃など、一見楽になると思える部分だけを真似するのは少し違う」
こう言うと、追い切り以外の時間帯でいかに中身の濃い運動をさせているか、といったことや、競馬のある週末でも一年中欠かさず朝一番で乗っていること、また、どんなに寒い冬の日でも馬体は乾燥しやすいお湯では洗わず必ず水で洗うこと、といった目につき辛い部分こそ真似して欲しいと続けた。
ところが、藤沢の面白いのは話がこれで終わらないところだ。首肯する当方の意などお構いなしといった感じで、翌朝、藤沢は言った。それは、前言の内容的を覆すものではなかったが、前言そのものをどう捉えるべきか?と考えさせられるこんな一言だった。
「リーディングトップだからといって偉そうに話せることは何もない」
曰く、牧場から来てほんの短期間で勝ち上がる馬もいる。また、馬主に高いお金で購入してもらった馬をそれに見合うだけの活躍で返したかというと、必ずしもそう出来ていないケースも多い。それなのに、ただ一年間の勝ち鞍が他の厩舎より少し多かったというだけで、ちやほやと持ち上げられ、それに浮かれているようではいけない、と。
「勝ったからといってやっていることが正しいと思うのは大きな勘違い。調教助手も厩務員も何も出来てはいない。そして、私自身もまだまだ向上心を失くさずにやっていかなければいけない」
以前にもリーディングのインタビューをさせていただいた時に、藤沢は言っていた。「一年間なんていうのは人間が勝手に区切った期間。そこで勝ち鞍が多かろうが少なかろうが関係ない。問題はトータルしてどうか?ということだ」と。
最後の“どうか?”という言葉は “何を残せるか?”と解釈できる。そういう意味では、藤沢は有形無形のものを合わせ既に多くのものを競馬界に残している。
ちなみに、昨年の全日程を終えた時点で、厩舎の通産勝利数は915。トータルでの1000勝を前に、藤沢はまだ「何を残せるか?」を考えていることだろう。
          (文中敬称略)
          2008年2月