国枝栄調教師とフォルタレーザ(広尾サラブレッドクラブ会報誌2007年掲載)

 

いつもと変わらぬ雰囲気だった。

装鞍も、パドックも、何も問題はない。調教師、国枝栄はそう感じていた。それでもパドックでは騎手、津村明秀に念を押した。

「大外枠じゃないし、問題はないと思うけど、一応、気をつけておいてくれよな」

頷いた津村。同じ日の中京競馬での騎乗を断ってまで、中山に駆けつけていた。この馬に対する期待のほどが窺えた。

大きな期待をかけているのは国枝も同じだった。波乱万丈の末、ようやく軌道に乗ってきた。この後の重賞までを視野に入れ、逆算。1000万条件に上がったばかりのこの馬に、厩舎のGⅠホースをダブらせてみせた。

2006年12月10日、中山競馬場。国枝の覗く双眼鏡の先に、ゲートへ向かうフォルタレーザの姿があった。

 

国枝がフォルタレーザを初めてみたのは05年6月末。来日、輸入検疫を終え、ファンタストクラブで調教を始めた頃だった。

「写真をみた段階でよい馬だと感じたけど、やっぱり思っていた通りのよい馬。気持ち繋ぎが緩い感じにはみせるものの、大きな馬体は迫力があるし、前向きな気性も好感が持てる」

非の打ち所がない、と感じた。

夏場、徐々に調教を強めていってもヘコたれる様子はなかった。青写真通り、秋のデビューへ向け、9月中旬には美浦トレセンに入厩した。

プールでの馴致もすぐにこなした。ゲート練習を一度しただけで、入厩一週間後にはゲート試験に一発合格。調教の動きもすこぶる良かった。

大きな馬なので脚元がどうかな?という気持ちでみていると、「左前脚が微妙に気になった」。調教は坂路のみで行うようにした。脚元、とくに前脚に負担のかからない坂路での調教を繰り返すうち、「元々、競走能力に支障を来たすような酷いものではなかったし、すぐに気にならなくなった」。

そんな国枝を驚かせる事が起きた。

10月13日。フォルタレーザが坂路で追われた。楽々と加速。時計は50秒6。しかし、国枝が驚いたのは、楽な手応えでの好時計に対して、ではなかった。

坂路を上り終えてすぐ、実績を挙げている古馬も含めた他の5頭とともに乳酸値を計測した。結果をみると、フォルタレーザの叩き出した数値は頭一つ、抜けていた。

「乳酸値は“mmol”っていう単位で計測結果を出すんだけど、他の5頭が19~20前後だったのに対し、フォルタレーザだけは約15だった」

馬体や調教時計からも、良い馬なのは分かっていたが、この数値を目の当たりにして、『凄い馬だ』と確信を持った。

ところが、フォルタレーザが撒き散らした衝撃はこれにとどまらなかった。その後、国枝はまた違った意味で幾度も驚かされる事になる。この時はまだそんな事など思いもせず、未来予想図を描いていた。

「坂路の時計は嘘をつかない。この乳酸値もこの馬が並でないことを物語っている。重賞、それもかなり大きなところをとれる器のようだ…」

 

二度目の衝撃は、10月29日。東京競馬場でのデビュー戦だった。

スタンドから双眼鏡越しに3~4コーナーを行くフォルタレーザをみた国枝。鞍上で、横山典弘が押したり、重心をズラしたりしている仕種に「何をやっているのかな?」と思った。

直線、フラつきながらも先頭に踊り出る。勝っただろうと思った次の刹那、国枝の目に思わぬ光景が飛び込む。フォルタレーザがいきなりヨレると、一気に外側へ斜行した。後ろに馬がいなかったため、妨害をすることはなかったが、完全に勝てる態勢は一転。際どい勝負になった。

「モノを見たのかなぁ…」と思った国枝。まだデビュー戦だし、仕方ないと苦笑。それよりも勝ったか否かが気になった。

結果は1着。外へ飛びながらも何とか1着だけは譲らなかった結果に、国枝はホッとし、喜んだ。しかし…。

「乗っているノリちゃんからしたら相当、怖い思いをしたんだろうね。怒っていたよ」

 

二戦目へ向け、平地での調教も取り入れた。

「坂路だけでやっていたことが全ての要因というわけではないだろうし、あまり神経質になり過ぎてもかえってよくないとは思った。でも、二戦目もあんなにヨロヨロしちゃ困るからね。万全を期す必要はあると思った」

角馬場の調教は問題なくこなした。Dコースへ入れると、多少他馬を気にする素振りはみせたものの、「真っ直ぐ走っていた」。

これなら、と思い投票したベゴニア賞は除外となり、京都のあけび賞に出走することとなった。11月27日のことだった。

スタート後、首をあげて怪しい格好をみせた。

「少々コントロールしづらいかな?って感じにはみえたけど、後から(騎乗した)柴山に聞いたら『それは問題ない』って言っていた。それよりも折り合いを欠いたことが響いたんだと思う」

結果、勝ったファイングレイから大きく置かれる9着。その後、右前脚をハ行した。

 

二戦目から三ヶ月が経過していた。右前脚はソエとトウ骨の骨膜。レーザーやショックウェーブによる治療に、時間を要した。トレセンに帰厩後、今度はザ石をしたが、症状はごく軽く、3月中旬には戦列復帰のメドが立った。

3月19日。中山の500万条件が、復帰戦となった。鞍上は後藤浩輝だった。

中間は平地での調教もこなしていた。普段の仕種をみる限り、難しいと思わせる面は皆無。むしろ扱い易い部類に入る馬だった。

「これといって人が気を遣わなければいけない馬じゃないし、レースも二度経験していたから、今度は普通に走ってくれる」

そう考えていた国枝の構想は、ゲートが開いた途端、木っ端微塵に吹き飛ばされた。

大外枠にいざなわれたフォルタレーザがゲートに納まる。係員が前扉を潜って出ると、外ラチ方向へ向かい、ゲートの後ろへターンする。競馬においては毎レースみられる何でもない光景だった。しかし、フォルタレーザの目は、その係員を追っていた。

間もなくゲートが開くと、国枝の二つの目はとんでもない光景をとらえた。

フォルタレーザが一気に外ラチ方向へ走る。騎手を振り落としても構わず走り、ラチに激突した。国枝、呆然とした。

 

一ヶ月の出走停止処分は、肩の外傷を治すのにちょうど良かった。発走調教再審査も難なくパスした。

「手伝ってくれた北村宏司も『普通に出るし、ヨレるような感じもない。ブリンカーとかも必要ないだろう』って…。競馬であんな走りをする馬と同じ馬だとは思えないくらいなんだ」

トレセンにいる限り、大人しい馬。気性面で気になるところは何もなかった。しかし、この中間、肉体面での問題が生じた。歩様が乱れ、爪にも熱を持った。

「能力があるのは間違いない。何もここで無理する必要はない」と判断。

放牧に出し、じっくりと立て直すことにした。

 

2006年11月25日。東京ダート1400メートル。フォルタレーザは三度、戦列に舞い戻った。

「片っパミで、多少左にモタれるかなぁって感じはあったけど、相変わらず調教の動きは何も問題もなく、凄く良かった。それに、何よりもここは500万条件。この馬の能力なら断然、上だと思った」

競馬は何が起こるか分からない。国枝も過去に幾度となく、痛い目に合ってきた。“これは負けないだろう”と計算していた馬が、思わぬ苦杯をなめる。この世界では珍しいことではなかった。それでも…。

「ここは楽に通過出来ると思っていた」

決して早くはなかったスタートも、焦ることなく、みることが出来た。

「行っちゃって一頭になる方が怖いから、フワッと出したんだと思う」

掛かり気味に前を捉えに行ったが、そんな競馬ぶりも十分、想定出来た。

「能力が違うから、途中から一気に行っちゃう可能性もあると思っていた」

むしろ怖かったのは、早目に抜け出した後だった。通常ならそこから安心してみていられるはずなのだが、ことフォルタレーザの場合、違った。

「早目に先頭に立って、抜け出した。一頭になったから『またフラフラするんじゃないか?』って思ったら、ハラハラドキドキした」

しかし、心配は杞憂に終わった。2番手以下との差をグングン広げたフォルタレーザ。ヨレることもなく、独走でゴールを駆け抜けた。2着馬は7馬身遅れ、やっとの思いでゴールに辿り着いた。

「やっぱりモノが違う」

ホッとしてほくそ笑んだ国枝。

「こうなればこの後もポンポン勝てるだろう。1月末の東京新聞杯。ここに向けてローテーションを組んでいけるんじゃないか…」

500万条件を勝ったばかりのフォルタレーザに、ここまでの期待をかけたのには、国枝なりの思いがあった。

「坂路を馬なりのまま49秒台で上がってこられる馬はそうそういない。この排気量は半端じゃない。ブラックホーク並みの力はある馬だと思う」

スプリンターズSと安田記念。2つのGⅠを制した厩舎の先輩、ブラックホーク。

「あの馬がいた時と同じように、わくわくする気分を感じさせてくれる馬」

それがフォルタレーザだったのだ。

 

12月10日の中山競馬場。フォルタレーザがゲートインすると、少しして、ゲートが開いた。

スタートこそ切ったフォルタレーザだが、すぐに鞍上の津村が変な格好をした。

「おや?」と思った国枝の目に、次の瞬間、嫌な光景が映った。

「トモの出がおかしいのが分かった。“やっちゃったか?!”って思った」

レースを繰り広げる各馬があっという間に別世界へ消えた。馬群から置き去りにされ、フォルタレーザだけが、向こう正面のターフの上に、残された。それでもすぐに止まろうとしないフォルタレーザ。止まるまでの間が永く感じられた。

馬運車が到着するのをみた国枝。パトロールフィルムで顛末を確認した。ゲートを出て、外へヨレたフォルタレーザが、隣の馬と接触。そのままズルズルと下がり、画面から消えていった。

そこまで見届けると、すぐに馬房へと駆けつけた。獣医の診断をうけるフォルタレーザがいた。

獣医が首を振りながら『骨盤が折れている』と伝えてきた。

「えっ?」

国枝が聞き返した。

「骨盤の大きな牝馬なら時々聞くけど、これだけがっちりした牡馬なのに、骨盤が折れた。まして、軽く接触しただけのようにみえたから、てっきり球節とか脚だと思ったのに、骨盤というのが信じられなかった」

しかし、患部である腰に触れると、骨が動くのが分かった。ゴリゴリという聞こえない音を、感触として国枝は手で聞いた。

競走馬としての復帰は不可能。楽にさせてあげた方が馬のため、と診断が下された。力なく、頷くしかなかった。

 

馬房を出されたフォルタレーザは、自分の脚で歩いて診療所の脇にある一室に入っていった。これから自分の身に何が起こるかなど露ほども考えていなかったのだろう。係員に引かれ、大人しくついていった。部屋に入るのを見届けた国枝の前で、扉は閉められた。

次に扉が開いたのは、それから僅か5分ほど後だった。しかし、この僅か5分ほどの時間が、フォルタレーザを別の世界へ連れて行った。開けられた扉の向こうには、白い布を被された一頭のサラブレッド、いや、サラブレッドだった体が横たわっていた。

少し前までは、これから紡がれるであろうとてつもない未来をその頭の中に抱いていた国枝。突然、絶たれた未来に、頭を垂れ、手を合わせるより他、何も出来なかった。

蹄鉄とタテガミをもらい、その場を後にした。無念と、感謝の気持ちだけをそこに残して…。

 

悲劇から約一ヶ月が過ぎた。年も明けた1月13日。シャイニングヒルがトレセンに戻ってきた。二度目の入厩だった。

「牝馬かと思えるくらい見栄えはしない体だったけど、ここにきてようやく良くなってきた。一度入厩した時におかしくなった左のトモもしっかりして、今は何の問題もない。坂路で乗った調教助手は『スピードに乗る時のガツンとくる感触はなかなかのもの』って言っている」

本当に良くなるのはまだまだ先だろうと言いつつも、そう語った国枝。しかし、それ以上に国枝の表情が崩れたのは、父ロックオブジブラルタル、母フェアリーバラードの二歳について語った時のことだった。

「牝馬とは思えないくらい格好のいい馬。雰囲気も良さそうだし、『これなら!』と思える馬。早く、こっちに持ってきてもらいたいね」

残念ながらフォルタレーザの勇姿をみることは、もう出来ない。しかし、同じエビ茶色の勝負服を背に、シャイニングヒルが、そしてフェアリーバラードの牝馬が、今後、ターフを賑わしてくれるだろう。フォルタレーザのバトンが、綿々と受け継がれることを願ってやまない。

(文中敬称略)

 

12月10日。皆の期待を乗せ、一生懸命走ってきたフォルタレーザ号は残念ながら永眠致しました。合掌。