香港国際レース福永騎手

 こんにちは、平松さとしです。
 今週末、日本では阪神ジュベナイルFが行なわれますね。しかし、私は現在、香港に来ております。水曜日に行なわれたインターナショナルジョッキーズシリーズ(香港版のワールドスーパージョッキーズシリーズ)と日曜日に行なわれる香港国際競走を観戦取材するためです。
 このところ海外のGⅠレースで、日本馬は苦戦が続いています。しかし、香港は日本からも比較的近く、過去の例をみても最も日本馬が活躍できる舞台。とくに印象深かったのは2001年。スプリント(1200メートル)、マイル(1600メートル)、カップ(2000メートル)、ヴァーズ(2400メートル)と4つある国際レースのうち、スプリントを除く3レースを日本馬が制し、日本馬が強かった時代の中でも光り輝くヴィンテージイヤーとなった感がありました。
 3つの内訳は、ヴァーズが武豊騎手操るステイゴールド、マイルが福永祐一騎手騎乗のエイシンプレストン、カップは四位洋文騎手にいざなわれたアグネスデジタルでした。
 中でも、エイシンプレストンはこの後、4回、計5回も香港へ遠征。02、03年のクィーンエリザベスⅡ世Cを連覇するなど香港で最も有名な日本馬となりました。
 しかし、今回取り上げたいのは負けた2回のうちの1回。03年の香港カップです。
 このレース、道中は決して悪くみせなかったエイシンプレストン。しかし、「さぁ、これから!というところからまるで反応してくれなかった」(福永騎手)。結果、勝ったファルブラヴから1秒3、遅れての7着。福永騎手は顔色をなくして上がってきました。
 この日の晩、ホテルのバーで福永騎手と一杯交わしました。その席で彼はプレストンから自信をもらうこともあったし、無力感を味わうこともあったと言いました。そして、沢山の経験をさせてもらい、こんなにも感情移入できる馬が今後、現れるのだろうか?と首を傾げると、更に続けて言いました。
「プレストンにはもらうばかりでこちらからは何もしてあげられませんでした。でも、僕自身、これから何を出来るかが恩返しになると思っています」
 こう語る福永騎手の目には光るものがありました。それはエイシンプレストンが戦ってきた32回のレースで、ただの1度も他の人に手綱を預けなかった男の絆が形となって現れたものにみえました。
 あれから早7年。今、福永騎手は自身初の関西リーディングジョッキーへ向けひた走っています。(08年掲載)